プロ棋士の神秘と信頼

 将棋ソフトの台頭によってプロ棋士の神秘と信頼が脅かされている。

 なぜ人々は棋士を魅力的に感じるのか。なぜ人々は羽生を神と呼ぶのか。それはひとえに彼らが神秘的な存在だからである。

 目前に置かれた超難解なパズルに対して、ときには一分将棋で放たれる神の一手。彼らの脳内でどんな化学反応が巻き起こっているのか想像もできない。それでも神の一手はしずかに着手されるのだ。我々はその神秘性に惹かれるのではないだろうか。

 今もっとも「将棋の神」の近くにいるのは人間ではなく、将棋ソフトであることはまず間違いないだろう。スマートフォンで動く将棋ソフトですらプロ棋士に匹敵する強さを持っているという話だ。

 スマホが神の一手を生み出す過程は容易に想像できる。0と1の世界。CPUを駆使してメモリの上で計算しまくっているのである。端末の温度を上げながら。そこに神秘性はないと思うのだ。


 近頃プロ棋士の信頼が崩れ去ってしまうような事件が起きた。絵画は写真の出現によって写実から解き放たれ、昇華していったという。棋士から神秘性と信頼性を取り去ってしまった後、将棋界にはなにが残るのだろうか。